読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ムラサキ

「あいつが帰ってきた」

その知らせは、きっと一瞬で学校じゅうに広まった。

 

2月。もう三年生は来ていないから、学校には生徒が普段の三分の二しかいない。なんだか校舎が広く感じる。ここでの生活もあと一年か…。その時私は部活の休憩時間で、体育館の入り口に座りながら、そんなことを考えていた。

「まじで?!」

隣で練習していたバスケ部も休憩時間に入ったらしい。話し声が近づいてくる。

「え、あいつが帰ってきたってホンマに?いつ?誰情報?」

「いつって、さっき。先生呼ぼうって職員室行ったらあいつがおったんや。びっくりしたわー」

「えーお前見たん?なにしに来たんやろ…学校戻ってくんの?」

「それは知らん。先生と話してたし、立ち聞きするわけにもいかへんやろ」

気が付いたら、私は水筒をほうって走りだしていた。「あいつ」が誰のことなのか、確認しなくてもわかる。ひとりしかいない。あいつが帰ってきたって、本当だろうか。バドミントンシューズのまま、渡り廊下を渡って二段飛ばしで階段を駆け上がる。まだ職員室にいるかな。上がった呼吸を整えながら、徐々にペースダウンをしていく。突き当りを曲がったら職員室だ。勢いで走ってきてしまったけれど、どういう言い訳で扉を叩こう。それともここで待ってようか。でももういないかもしれないし…。少ない脳内の引き出しからそれっぽい言い訳がないか探しながら、ふと廊下の窓から外をのぞくと、見覚えのある後ろ姿が昇降口から出て行くのが見えた。…しまった。遅かった。顔を見なくても彼だってわかる。私はUターンして今度は一気に階段を下りた。胸の鼓動が速くなったのは、校内を全速力で走っているからなのか、彼の姿を見たからなのか、わからない。本当に帰ってきたんだ。幻想じゃない。今年の冬もあの黒いマフラーをしてる。私が昇降口まできたとき、彼はもう校門まで数メートルのところまで歩いていた。引き止めようと、大声で名前を叫ぶ。彼は一瞬足を止めて振り返りかけたけど、また歩きだしてしまった。きっと私だってわかったから無視したんだ…。くやしい。私は彼に追いつこうと必死に走った。

「ねぇ! 」

校門を出てすぐのところで、私は彼に追いついた。それでも彼は足を止めない。逃げもしない。彼はそういう人だ。私は彼が感情的になったり、取り乱しているところをみたことがない。

「学校、戻ってくるん?」

しばらく会わないうちに、またぐんと背が伸びた気がする。隣で彼の顔を見ようとすると、思いっきり顔を上げなければならない。いや、それは前からだったかも…。彼が大人っぽく見えるのは、なぜだろう。なんか、雰囲気が変わったように思う。なんていうか、すごく、精悍な顔つきになった。別人みたい。男の子って数か月で一気に成長するんだなぁ。すごい。

「ねぇって。ずっと、なにしてたん?」

私が彼の腕を掴むと、彼は足を止めた。気怠そうに身体の向きをかえる。彼の綺麗な目が、私の目を見つめる。おさまりかけた鼓動が、また速くなる。私は手をはなした。やっぱり、どこか雰囲気が、変わった。

「お前には関係ないやろ」

冷たくそう言い放って、前を向いて彼は歩き始めた。

そうだ。うん。確かに関係は、ない。私は彼の彼女でもなんでもないんだし。彼が帰ってきたという知らせを聞いて、舞い上がってここまで来てしまったけど、冷静に考えたら今さら彼が自分の事を私に話してくれるわけない。私は諦めて校舎に向かって歩き始めた。自分が痛い女だってことくらいわかってる。ずうずうしいね。でも、知りたいんだもん。

 

彼と私は、同じ中学に通っていた。たまたま三年間同じクラスで、ふたりきりで話すことは少なかったけど、他の子も含めてよく一緒に帰ったり、休み時間にばか騒ぎしてた。同じ高校を志望してることはなんとなく知ってた。合格発表の日、高校の最寄駅でばったり会って、お互いの合格を報告して一緒に喜んだ。その日から仲良くなって、一年のころは時々一緒に登下校してた。そんな仲。彼はかっこいいし、モテるので、「お前らつきあってんの?」なんてまわりに言われてちょっとうれしかったりした。付き合ってないんだけど。私は彼が好きだった。っていうか、今も好き。いつからそう思い始めたのかは、ちょっと覚えていない。中学の頃からだったのか、よく話すようになってからなのか、あいまい。でも私は彼のことを昔も今もほとんど知らなかった。彼は何を考えているかわからないところがあるし、ふたりでいても私が話してばっかりで、むこうはそれに対してげらげら笑うだけ。何か質問してもいつもかわされてた。

二年生の梅雨くらいから、彼は学校をよく休むようになった。なにしてるん、とメールを送っても返信は来なかった。友達もたくさんいたし、いじめられてるなんてこと絶対はないから、学校をきらいになって不登校になったとか、そういう感じじゃない。それでも、夏休み前までは週に何回かは出席してたと思う。ときどき学校で話しかけても、眠そうにあいまいな返事をされるだけだった。夏休みが明けてからは、一日も学校に来なくなった。先生も理由を知らないみたいだったし、彼の男友達に聞いてもふざけた返事しか返ってこなかった。

 

昇降口まで戻ると、彼が高校で一番仲のいい男の子が立っていた。軽音部に入ってて、多分彼の事は校内で一番知ってる。

「お前もよおやるなぁ」

この人はいつからここにいたんだろう。もしかしたら、私が職員室から降りてくる前からいたのかもしれない。あの時は彼に追いつくことばかり考えていて、気が付かなかった。はぁ、恥ずかしい。今さら遅いか。

「なんや。見てたん」

ふたりで並んで廊下を歩き始めた。

「あいつ、学校戻ってくるらしいなぁ」

「やっぱそうなんや…」

「復学届、出しにきたらしいで」

「もうすぐ三年やろ。半年も休んでて大丈夫なん?進級できるん?」

「まぁ、その話を今日しに来たんやろな。多分大丈夫、みたいなこと言ってたから大丈夫なんやない?」

「そっか…」

「…はは、なんやその顔。あんなやつやめときー」

「うるさい」

「あんなぁ、あいつ、女追っかけて学校休んどったんやで。まぁだめやったみたいやけど」

やっぱりそうなのか。私は動きを止めた。やっぱり、と言ってもこの半年間いくつも立てた妄想に近い仮説のうちのひとつなのだけど。ショックだった。

「知ってたん」

「まぁ、俺も知ったん最近やけどな。あいつはそういう奴ですからね」

「どんな人なん、相手」

「どんな人って言われてもなー。俺も会ったことないしなー。でも気になるよなー。あいつをそんな夢中にさせる女って。どんな美女なんやろうなぁ」

「はぁ」

軽音部の彼の発言に、いちいち傷ついてしまう。そうか。そうなのか。全然しらなかった。

「でも学校休むって相当よなぁ。あいつめっちゃ好きやったみたいやし。でもそういう恋もええなぁ。年上らしいし」

「年上なん?!」

「そうらしいで」

「なんで…別れたんやろ…」

「本人に聞けや。もう俺しゃべりすぎてる。あいつに殺されるわ。まぁでもあいつ言わんよな、そういうこと。わかる」

「せやから教えてって」

「女子はすごいなぁ。俺がお前の立場やったら、好きな人と自分以外の誰かの恋なんて聞けない。その前にとっくに諦めてると思うけどな。すごいわぁ」

「で、なんで別れたん。っていうかどうやって出会ったんそんな人」

「それは今度な。俺もよお知らんけど。かわりになんかおごれよ。命掛かってるんやから。じゃ、練習戻るわ」

気付けば昇降口から体育館と校舎をつなぐ渡り廊下の前まで来ていた。軽音部の彼は駆け足で階段を上っていった。

頭が良くて器用で要領のいい彼が、そんなに惚れこむなんて、どんな人なんだろう。どうやって出会って、別れたんだろう。どんな恋だったんだろう。その人に対しては、彼は感情的になったのかな。あいつ、ほんとに大人っぽくなってたなぁ。

 

ふと顔を上げると、沈みかけの太陽と夜の始まりが、きれいなムラサキ色の空をつくっていた。日がのびたなぁ。私は駆け足で体育館へ戻った。

 

(本編)http://ask.fm/day_dreamer96/answer/108634161843

(ムラサキ/赤西仁http://j-lyric.net/artist/a04bd21/l0244a5.html