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不謹慎な話をします。

東日本大震災から3年経った。はやい。いまから不謹慎で語弊しかない話をします。

 

3年前のあの日、私は友人と原宿の竹下通りにいて、そのあと品川まで歩いたんだけど、たのしかった。電車は止まっているしバスもタクシーも大行列だからみんな東京のど真ん中をとぼとぼあるいていて、夜のピクニックみたいだった。ヒールを履いていたので疲れたけど。最初わたしたちは普通の地震だと思っていて、次々と閉まるお店や防災グッズを抱えて歩くサラリーマン、やっと連絡が取れた友人の母親のテンションに、「なんでそんなみんな大げさなの?」って言ってた。電車もすぐ動くと思ってた。でも渋谷まで歩いたくらいから、あー、これって結構やばい感じかも。いつもの感じじゃない。って気付いた。あの日の東京は、謎の高揚感に包まれていたと思う。部屋についてテレビをつけて初めて、東北の被害やその大きさを把握した。

一夜明けても、テレビは変わらず報道を続けていて、ツイッターのRTもなんかいつもと違って、Facebookではいろんな国の子が「日本大丈夫?東京や横浜はどう?」「pray for Japan」って言ってて「非日常」が続いた。悲しい報道を見るたびに泣いてたけど、同時に「今、日本が世界の中心になってる」「歴史に残る出来事の当事者になれてる」って思えてぞくぞくした。

 

わたしは、非日常がすきだ。コンサートとかオリンピックとか大晦日とか、非日常を感じられるイベントはとりあえずなんでもすきだ。退屈で平凡な毎日のスパイスって感じ。それと同じ要領で、嵐や地震などの天災もちょっとわくわくしてしまう。不特定多数の誰かとなんらかの感情を共有していることによる臨場感高揚感。事件でありハプニングである「その時」の目撃者であり被害者であるという仲間意識選民意識。何の努力もせずに当事者になれてしまう。

去年の夏、NEWSのライブで「パーナさん事件」というのが起きたけど、それもこの心理や雰囲気が原因だと思った。私もその場にいたら混乱して舞い上がったんだろうなって思う。「いつもの」コンサートじゃない、「通常」じゃない、ってなるとそれだけで興奮しちゃう。話が少しずれるけど、秋元康はその心理を利用するのがすごく上手いと思うし、アイドルの現場に足繁く通う人はその感覚にハマってるんだと思う。

 

関東には、今この瞬間、大地震がきてもおかしくない状況らしい。ちょっとわくわくしている。わたしはその時、だれと何をしているんだろう。その時やっていることや、見ているものが「普通」じゃなくなる。

もちろん、「本当の当事者」になったらこんなことを言えなくなる、ってのはわかってる。アイドル本人たちとか、被災して自宅が崩壊するとか家族を失うとか。想像するだけで涙が出てくる。

でも、私が天災にわくわくしてしまう、と言えてしまうのは「誰も悪くない」からだ。二次災害はまた違ってくるけど、嵐や地震って、戦争や事故と異なり「敵」や「悪者」が存在しない。誰のせいでもない。誰かを憎んだり悪者にしたり戦ったりするのはかなしい。私はあまり頭がよくないので、世界が平和になるには地球に巨大隕石の落下予測されればいいんじゃないの、そしたら一致団結するんじゃない、ってちょっと思ってた。

 

どうせ人生を終えるなら、ハッピーエンドがいい。友達と爆笑しながら帰路についてるときとか、アイドルのコンサートを見てるとき、ときどき「いま大地震こないかな」って考えてる。この人たちと事件や悲しみを共有できたらしあわせだ、今この瞬間死んだら私の人生超ハッピーエンドだ、って。

 

 

……えーっと、この話はこれで終わりです。だいぶフキンシンなことを書いたって自覚はある。わたしはガキなのでかなしいのがきらいだ。死別と失恋はこの世からなくなればいいとわりと本気で思ってる。でも絶対なくならなくて、みんな乗り越えてて、ほんとうにすごいなって尊敬してます。